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ご馳走と味覚

 ある高級料理店で食事して、味が落ちた、と思った。
だが、原因は自分の味覚にあるらしいと考え直した。なぜなら、一緒に食事をしていた人が不愉快な話題を口にした途端に、神経が舌から剥がれるのが分かったからだ。
 世にグルメ本や記事は多いけれど、「どんな相手」と「どんな会話」をしながら「どういう気分」で食べたのかを記さなければ不完全だと思う、脚本家の一色信幸さんは語る。
 立ち食いそばでも、気分次第ではかけがえのない『ご馳走』にもなる。どんな素晴らしい料亭のご馳走でも、砂をかむようなエサに堕ちることもある。料理の主役は、常に食べる側の人間である。
親しい友達とキャンプに行った。車を運転するわけでもなく、釣が上手なわけでもない。何の役にも立たない私がバーベキュー係になった。炎天下で火をおこし、ひたすら焼くだけである。
でも、皆が「美味い、美味い」と連発してくれるので、死ぬほど嬉しかった。
何も料理が上手なわけではない。
川遊びやハイキングで気持ちよく疲れ、清冽なせせらぎの音の聞こえる大自然の中で、楽しい会話が弾めばこそ美味しいのである。

自分の「活き筋」を見つけられる人

 名を成す人、天下を取った人、あるいは風靡にした人は、必ず「活き筋」を見つけて出てくる。
ただ終わりがいいかどうかは、目的を達成したあと、二の矢が継げるかどうかにある、と渡部昇一さんは語るが、公益追求の思想があることも大切だと思う。
谷沢永一さんは、「何が何でも自分には自分を活かす道があるんだ」と思うことが大切だ、と語る。それが見つからない時は念慮が足りないのである。
 自分をキューッと締め付けるような意欲、硬いチューブから無理矢理中身を搾り出すように、自分自身を辛いところにおいて、死中に活を求める。そういう意欲がないことには何も見えない。
 人間の一生には自分自身を博打の材料にしなければならない時期がある。その時に、それを惜しいといって自分を投じなかった人は、永遠に活き筋は見えない。
ここが自分の生涯を賭ける出番だと思うとき、大抵の人は尻込みをしてしまう。それでは成功しない。
織田信長は桶狭間の戦いに自分の命を賭け、豊臣秀吉は朝倉征伐の時に殿を引き受けることによって活き筋を見つけた。それが、彼らにその後のチャンスをもたらした。
大切なことは、ここ一番という時に自分のすべてをかける決断の勇気を持つことである。